上の写真で並んでいるテントと同時か、あるいは直後に買ったものだ。テントと同じ店のワゴンセールで買ったことは覚えているのだが…ショップオリジナルの180cmのポールも2本買った。
ポールを2本しか買わなかったのは、一辺は立ち木や何かに依存するつもりで、一番手っ取り早いのがクルマ。塩ビ管とスキーキャリアを使ってカーサイドやリアに広げ、ちょっとした日よけ雨よけの空間を作りあげたのだが、何せ塩ビ管、暑い日にテンションをかけているうちにぐにゃりと曲がってしまった。
タープの下の空間、と言っても210cm四方の布切れが作る空間なんぞ知れたもので、実は人間一人がくつろぐことも怪しかったのだが、あの頃はそういう工夫をすること自体が楽しかった。クルマを使ってはいたが、パックパッキングへの憧れを引きずっていて、小さなものや有り合わせの物を工夫して使うことが嬉しかった。
生地の色は青みがかったグレーで、買って20年になるが他ではまだ見たことがない色だ。パッとしないというか、悪く言えば汚らしい色とまで言われそうだが、それは手に持っているときの話。タープとして使うときは日光を程よく遮って、さりとても薄暗くなったり妙に肌の色が不健康に見えたりということもなく、空間の明るさと色あいという点ではでは快適なタープと呼んでもいい。ただ、いかんせん小さすぎる…
そんなわけでやがて別のタープにとって代わられることになるのだが、四角いシートは持っていると重宝なので、今に至るまでずっと残してある。実際、XCスキーに行ったときは雪の上に広げてランチタイムにしたり、スクリーンテントとテントを連結するときに隙間にかぶせたりなど、まだまだ活躍の場はあるものだ。
でも、下に敷いて使うときは、ふと「こいつ上に行ったり下に行ったりで、いろんな使われ方をして大変だなぁ」と苦笑することがある。
そろそろ暇を出そうかとも思うのだが、手に取ると「あ、ハトメが壊れてる。直さなくっちゃなぁ」なんて思ってしまうのだ。
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「まつおサン、これ知ってる?」
キャンプ場で友人が見せてくれたケトルの蓋の裏、ツマミの反対側の位置にオスネジが切ってあった。
「ここにプリムスのバーナーがつけられるんだよ...」
クルクルと、まるでカートリッジを取り付けるかのようにバーナーの下にケトルの蓋をねじ込んだ友人は、その状態のままケトルにかぶせてしまった。つまり、ケトルが2243バーナーの収納ケースになったわけで、これには感心した。でも…
「ウチのバーナーには自動点火がついているから、入れるときに引っかかってダメなんじゃない?」
「大丈夫だよ。ちょっとコツがいるけどね」
友人は自動点火装置がついた我が家のバーナーに取り替えてみて、ちょっと知恵の輪をいじくるかのように捻るように傾けていたが、これまた見事に収まってしまった。
「ほらね」
キャンプから帰ったあと、我が家がこのケトルを買いに走ったことは言うまでも無い。
友人のものは無塗装だったが、我が家はちょっとお洒落に赤く塗られたものを買った。これがテフロン加工みたいな塗装で、煤や汚れがつきにくいのは結構だったが滑りやすく、下のバーナーが傾いているとツツツーっと落ちそうになることもしばしばだった。
ツーバーナーが青い色だったので、この小さな赤いケトルはテントサイトの素敵なアクセントになり、サイトを離れて遊んできても、戻ってきたときに我が家に帰ってきたんだという嬉しいようなホッとした気分になれたものだった。
もちろん一年中キャンプ生活ということはない。だから家の中でも使っていたのだが、お湯を沸かすという用途ではなかった。その頃はあまり使わなくなっていたコッヘルと一緒に子供の玩具と化し、積み木などと一緒に箱の中に転がっているうちに蓋が見つからなくなってしまった。すでに別のケトルも買って使っていたのでキャンプで困るということは無かったが、蓋の裏にバーナーを取り付けて収納できるというギミックが気に入っていただけに、その蓋が見つからないのは残念だった。それにだいいち蓋が無ければケトルとして使うことができない。
「引っ越すときに出てくるだろう」
と思っていたのだったが、やっぱり出てくることは無かった。
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ホーロー製のキャンプ用食器というと、赤黄緑など色鮮やかなコップがリュックにぶら下がっている情景を思い出してしまう。また、実際、自分も赤いコップを持っていた時期があった。まぁ、キャンプというより登山やハイキングのお供といったイメージかな。
ある程度キャンプについて雑誌を見たりしているうちに、広く「食器」という括りでは白く斑点の入った青いホーロー食器というものがイメージとして深くインプットされてくるようになった。ただ、なんとなく皿類にホーローを使うことには少し抵抗があったのも事実だ。ぶつけたりして表面が剥がれたところに錆が入ったモノを子供の頃に見た思い出が残っていて、それが不衛生な印象として記憶にあるのかもしれなかった。
だから買おうとは思わなかったが、ショップで並んでいるのを見るのは好きだった。特に木製の棚にディスプレイされているのを見ると、素朴なアーリーアメリカンの雰囲気を漂わせていて気持ちが落ち着いたものだ。
上の子が生まれる頃だった。家内が「これで離乳食なんかを作ってみたいな」と、その頃よく行っていたアウトドアショップで直径15cmほどの小さな鍋を手に取った。アパートの部屋で使うには不似合いだし、あまり実用的ではなさそうだったけど、子供のための道具ということで、少しは遊び心があるのも悪くないと思って買って帰ってきた。
上の写真は出産後、アパートの前にあった公園で友人たち向けの「子供ができました」というご挨拶用の写真を撮ったときの一枚からトリミングしたもので、何枚も撮ったうちの一枚は右側にあるようなものになる。もちろん、まだ離乳食どころではないので、完全に撮影用の小物として脇に置いただけで、まだ全然使っていない状態だった。
そして、このあと、どこへ仕舞いこんだか行方不明になってしまった。
狭いアパートなんかだら、どこかにありそうなものなんだけど見つからない。引っ越す時には出てくるだろうと楽観していたが、とうとう出てこなかった。
このサイトは、今使っているグッズのみならず、かつて持っていたグッズについても思い出を綴りながら紹介してゆくことを目指しているのだが、思い出も何も、一度も使っていないグッズなのだ。だから写真も、公園で写したこの時のものだけ。
それにしても、いったいどこへやってしまったのだろう。
シンサ
(1993年購入)
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