
1989年のゴールデンウィークに、初めての海外旅行に出かけた。海外と言っても佐渡島ではない、その先のシベリアである。初めての国外ということに加えて体制の異なる国だから、見るもの聞くものが皆珍しく、興奮して帰国後
『おろしや国酔狂譚』と名付けたB5版100ページあまりの旅行記を書いてしまった。「読め!」と送りつけられた友人や旅の同行者には、さぞかし迷惑だったろうと思う。
当時はゴルバチョフ政権下で、まだソビエト連邦としてペレストロイカを積極的に推進していた頃であり、結構好き勝手に街の中を歩き回って写真を撮っていたが、そこはそれ、「不気味な国」「おっかない国」という先入観もあって、自分自身の中では少し緊張し、そして気負っていた。

明日は日本に帰るという日、ハバロフスクの目抜き通りを歩いていて、通りの向こう側にスポーツ用品店を見つけた。ロシアにおける体育用具事情はいかなる具合かと視察に訪れたら、あれだけオリンピックで金メダルをかっさらってゆく国だというのに、中で売っている品はお粗末な物が多い。きっとステートアマは特別な施設に集められて養成されるのだろう。
日本では小学校の近所にある運道具屋で扱っているような品が並べられた奥は釣り具の売場だ。ショーケースの中にはルアーが揃っている。そういや、その日の朝、アムール河畔を散歩したときは釣りをしている人が多かった。釣り具のショーケースの向こう側、店員の背後には…なんと、
オプティマス8Rがあるではないか!
わっ、8Rだと思った次の瞬間、これこそぼくがソ連に行ったら探そうと思っていた物だと気づいた。2ヶ月ほど前に読んだ『BE-PAL』4月号にソ連から輸入されたというガソリンコンロが紹介されていて、それは
ホエーブス625にそっくりだった。それを見て、自分もソ連に行って見かけたら手に入れようと思っていたのだが、連日の珍しい経験ですっかり忘れていたのだった。だから目の前にある8Rも、ソ連製のコピー商品に間違いない。そう思ってよく見ると、隣りに625もどきも並んでいるではないか。
でも、バックパッカーに馴染みが深いのはやっぱり8Rだなと考えてもう一度8R、いや、8Rもどきに目を戻すと、8.00と書いた札が付いているのに気がついた。これはもちろん品名ではなく価格だ。頭の中に1,600円という金額が浮かんだ。当時のレートは、おおむね1ルーブルが200円だったのだ。
もちろんすでにガソリンコンロは持っている。それに日帰りハイクにはガスコンロを使うことが多くなっていた。しかし…
「ここらで新しい物も悪くないな。これは値段も安いし、それにウケる。この夏のキャンプは、このソ連製のコンロでスターになれるゾ!」

どうも次元の低い話になるが、すっかりその気になって(つまり舞い上がってしまって)仲間に見せびらかしている姿を想像しながらレジに金を払いに行った。ソ連では、先にレジでお金を払ってから売場でレシートを見せて品物をもらう方式なのだ(これは後に行ったパリのデパートでもそうだった)。
この店に入る前に銀行で両替してきたばかりの真新しい5ルーブル紙幣を2枚出し、レシートを受け取るやいなや売場に戻って8Rを指さして「あれくれ!」
売場のオバちゃんは、そんなに焦らなくても大丈夫だよという顔をして、サンプルの下に積まれた箱から一つ取って渡してくれた。もどきとはいえ8Rが8R(ルーブル)だぞ、日本円で1,600円だ。日本で本物の8Rを買えば1万円前後だ…有頂天になっていると、肩を叩かれた。振り向くと、さっきのレジ係と、責任者のようなオバちゃんが立っていて、レジ係がぼくの顔を見て、間違いない、この男だとでも言うように責任者に耳打ちした。売場のオバちゃんもそうだが、皆、巨躯の持ち主である。その3人がぼくの前後に立ちはだかった…
その一週間前、初めてソ連の大地を踏み、街の中を見た第一印象として、若い女性が美人揃いというのを感じた。彫りが深く、色白で、出るべきところは出て締まるべきところはキュッと締まっている。まるで街中ダイアナ妃が歩いているようなものだねと同行のツアー仲間と話したのだ。ところが、そのダイアナ妃も、中年過ぎると京塚昌子に変身する。これまた見事なまでにそうなのだ。「若い女は限りなくダイアナ妃で、中年過ぎの女は果てしなく京塚昌子である」というのが我々が発見したソビエトの国家機密であった。
さてはKGBがそれに気づき、機密漏洩を恐れて抹殺しようと企てたのか。それともピン札をちらつかせて息を切らして火器を買おうとしている不審な日本人がいると通報されたのか。ソ連の掟に従ってパスポートはホテルのフロントに預けたままだ。アムール川に土左右衛門が浮かんだとしても身元が判らぬままに終わってしまう可能性も…一瞬のうちに様々な思いが頭に浮かび、うろたえているぼくに向かって責任者のオバちゃんが太い腕を伸ばした。その先に握られているのは…2ルーブル。
あ、そうか、慌てていて釣り銭を貰うのを忘れていたのだ。いやあ、うっかりした。ありがとう、スパシーバと照れ隠しに笑いながら店を出てきたのであった。
箱の中には10ページもの詳細な取扱説明書が同梱されていたが、もちろんロシア語が読めるはずがない。しかしまぁ使い方は当然8Rと同じだろうからと、楽天的に考えて使っている。
それに、かの国のことだから良質なホワイトガソリンがどこでも入手できるとも思えない。だから、これはレギュラーガソリンを使っても目詰まりを起こさずに使えるのではないかとも思える・・・のだが、コールマン純正のホワイトガソリンの備蓄が多いため、まだ実践にはいたっていない。
メーカー不明
(1989年5月購入)
ルーブルという貨幣単位はローマ字で書くと「R」から始まるのですが、現地ではロシア文字を使っているため実際には「P」と表記されます。余談になりますが、食堂を表す「PECTOPAH」という言葉には「Ю」とか「Я」といった文字が含まれず、なまじローマ字と共通の文字ばっかりだったので、どうしても「ペクトパー」と発音してしまったのでした(本当は「レストラン」)。

トップの写真は、買ってきた年の夏にキャンプに行って自慢しながら着火しているところを友人が写したものです。着火直後ですから赤い炎が上がっていますが、安定するとゴーゴーと独特の音を立てながら青い炎に変わりました。
この写真を撮ってくれた友人は、バーナー部分が8Rと共通な
スベア123を持っていましたが、友人の中には「本物の」8Rを持っているものもいます。彼の家を訪ねて2台並べた写真を撮ったのは1999年の暮れでした。左奥の青い方が本物です。
文中「純正のホワイトガソリンの備蓄…」と書いていますが、元の文章を書いたのが1996年頃で、その頃からすでにガソリンストーブはほとんど使わなくなっていたのですが、今はもうガソリンを使う器具はありません。唯一これだけが旅行の記念として置いてあるだけです。