
初めてこいつを見たのは1980年の夏、大学4年の時に行った北海道にある常宿のユースホステルだった。北海道にはいつも2月3月に行っていたのだが、初めての夏の北海道で、その冬にも泊まり合わせた友人と再会した。
「キャンプするつもりで道具も一式持ってきたんだが、結局ユースばっかりだ」
もう一人泊まり合わせた友人はマイカーで来ており(やっぱり夏は装備が違う)、僕たちは昼間は三人でドライブし、公園の片隅で飯を炊いて昼食を食べたりしていた。燃料が余っているからと、ユースの前で日がな一日ジャム作りをした日もあったっけ…。
これまでラジュースと呼ばれている灯油を使うコンロは知っていたが、優美なラジュースとは違って、こちらは何か機能的なものを感じさせた。
翌年、就職した僕は何回目かの給料(ひょっとしたらボーナスだったかも)でこれを買った。16,000円。当時の大卒の給料は10万くらいだったと思う。
(その後、大卒の給料が20万前後になった頃、こいつは5,800円になってしまったが)
今になって不思議に思うのは、大学生の頃の僕はキャンプはもちろん、アウトドアというものに興味が無かったというのに、どうしてこれに興味を持ったのだろうかということだ。社会人になってからの旅の形態は信州への一泊旅行がメインになってしまい、ますます短期集中型になってゆくのだが、ぼくはこれを持って出かけ、ドライブの途中でお湯を沸かしてカップ麺の昼食を食べるということから徐々にアウトドアライフの楽しみらしきことを始めて行くようになる。
正確には自然を楽しむというのではなく、自然の中でこういった道具を使うことを楽しむと言わなくてはならないのだろうが、都会の会社に勤め、都会で生活するのだろうなと漠然と思っていたそれまでの自分からは想像もつかない方向転換だった。
これが「キャンプ好き」としての自分の原点なのかもしれない…と言ったらこじつけかなぁ。
使ってゆくうちに重さが気になるようにもなってきた。ハイキングの昼食程度ならもっと軽量コンパクトな道具もある。でも、自分の場合はデイパックの中にあるのはこれだけ(水とカップ麺も、だけど)だから、ずいぶん持ち歩いたものだ。
XCスキーにもよく持って行った。ただ、「氷点下でも着火する」という謳い文句とは裏腹に何度試みても火がつかず、空腹のまま帰ってきたことも数回あったが。
謳い文句といえば、8Rや123の燃料タンクにあるような安全弁がこれには無い。「安全弁が不要なほど安全」「火の中に放り込んでも爆発しなかった」などという伝説もあったっけ。さすがに試したことは無いが、火達磨にしたことは何回かある。使っていると(おそらくジェネレーターの付け根だと思うのだが)ガソリンが流れ出し、あれれと思っているとボッと火がついたりして…
なんだか、失敗談ばかりを覚えているような気がする。
ソロ(といっても仲間が集まって)キャンプからファミリーキャンプへと形態が変わり、使いやすいガスの燃焼器具をメインに使うようになって、こいつの出番はなくなってしまった。我が家で錆び付いて朽ちて行くよりは現役で働いて欲しいと手離してしまったが、この文章を書いているうちに、手元に残しておくべきだったかなと…いやいや、やっぱりあいつはゴーゴーと音を立てて青い炎をあげている姿が似合っている。ときどきチョロッと漏れたガソリンで火達磨になるのもご愛嬌だ。
《MODEL 400 STOVE》
コールマン
(1981年購入)