
1995年1月17日に起こった兵庫県南部地震
(阪神・淡路大震災、阪神大震災)は、ネットワーク通信の価値を高めた事件だったような気がする。もちろん、自分を含めてまだインターネット環境を手にしている人はごく一部で
(大企業や学術機関が主だったのでは)、まだまだパソコン通信が全盛の時代だった。しかも、モバイルと言っても携帯電話でホストコンピュータにアクセスする人も少なく、音響カプラやモジュラーコードを使ってノートパソコンを公衆電話につないで使う方法が主で、パソコン通信をやっている多くの人は自宅の電話からアクセスしているという状況だった。
だから、震災で家を失ってしまった当人はパソコン通信のコミュニティから外れてしまうのだが、人づてに伝わってきた安否情報がネット上にのぼってきて全国の仲間たちは安堵の胸をなでおろしたりしたものだった。
残念なことにインターネットと違って情報が横断的に往来しないパソコン通信のコミュニティでは、せっかくの有用な情報が閉じられた範囲にしか伝わらないということもあったが、「○○というフォーラムに行けば●●の情報がある」などのニュースがもたらされるようになり、加入しているパソ通会社の範囲内という制限はあったが
(インターネットで言うと、自分が契約しているプロバイダ直営のコンテンツや、そこのユーザーのホームページにしかアクセスできないようなもの、とイメージしてください)、かなり横の情報も入るようになってきたものだった。
自分が参加していたニフティサーブ
(現アットニフティ)のコミュニティも、当初のうちは関西に住むメンバーの「地震があった」という被害情報や、安否情報が主だった。フォーラムスタッフの素早い判断で専用BBSが開設され、日頃アクティブに書き込んでいたメンバーが「無事でした」と書き込んでくれるのを祈るようにして待ったものだった。もちろん、無事であっても家が壊れたり、パソコン通信どころではないメンバーだっている。電話もなかなか通じない中、ミニオフなどで直接見知っているメンバー同士が連絡を取り合い、上記のように安否情報を流してくれたりもした。
当初の混乱が一息つき、復旧や生活のための情報が増えてきた頃、「自分たちにできることは何かないのか?」という話になってきた。ボランティアとして駆けつけるのも一案だろう。だが、パソコン通信の仲間は全国に分散して、それぞれ違った仕事や生活を抱えて暮らしている。個人としてボランティアに出かけるのは応援できても、コミュニティとして人を集めるのは難しい相談だ。結局、義捐金を送るしかないのだろうか。
すでに皆、職場や学校、地域社会で何がしかの義捐金を拠出しているはずである。ここでまた呼びかけるには、やはり自分たちのコミュニティならではの
(この言葉は不適切かもしれないが)付加価値が必要だろう。
それやこれやでオリジナルのシェラカップを作成してメンバーに販売し、その利益分を義捐金にしようということに落ち着いた。いや、落ち着いたといっても、決まるまでにはいろいろ議論もあった。製作コストはどれくらいかかるんだ? あまりに高いと誰も買わないぞ? 直接金を集めた方が義捐金に回す分が多いのではないか? 等々…
書き漏らしてしまったが、自分が参加しているコミュニティ
(ニフティでは「フォーラム」と呼んでいた)の名は『キャンピング&アウトドアフォーラム』と言い、文字通りキャンプ好き、もしくはこれからオートキャンプなどを始めるのに情報を得たいという人間の集まりだ。そういった人たちが、単に義捐金を拠出するだけではなく、自分自身も災害に対する普段からの心構えを忘れないようにという意味を込めて、オリジナルのアイテムをつくろうということにこだわったのだった。

実を言うと、BBS
(当時は「電子会議室」という言葉が一般的だった。今使われている「掲示板」という呼び方は「売ります・買います」という一方的な掲示を目的とするコンテンツに対して使われていた)で制作についての議論が行われている頃、推進派のスタッフとチャットで出会い、こんな会話
(この場合は筆談になるのかな)をしたことがあった。
「デザインで何か良いアイデアある?」
「1995.1.17.5:46、って文字を入れるのはどうかなぁ?」
「…それは、ちょっと生々しすぎるんじゃないかな」
却下されたこの数字は、あの大地震が起きた日時である。おそらく彼は被害を受けた人を思いやったのかもしれないが、このシェラカップは何のために存在しているのか、主張を風化させることなく訴え続けるためには、自分としては入れたほうが良かったのではないかと思い続けている。10年経ってしまった今、ことさらそう思うのだが…あ、自分で打刻してしまえばいいのか。誰かポンチ持ってない?
BBSの方では、打ち合わせに時間をとられ、制作でまた時間をかけているうちに義捐金が時機を逸するのではないかという懸念もあったように思う。だが、集中的な人的物的資源の投入で素早い復旧は遂げても、復興はまだ終っていないような気がする。
このシェラカップではコーヒーやウイスキーではなく、水を飲みたい。カップの底にあるフォーラムのロゴを見ながら、一瞬、何かが頭をよぎる。その一瞬を大切にしなければいけないと思う。
アウトドア&キャンピングフォーラム制作
(1995年5月購入)
現物について

ドイツに出張した友人が、まだ日本では売られていないモデルなんだと言いながら見せてくれた。ドイツの土産ならゾーリンゲンにしそうなものだが(いや、そういうのも買ってはきていたが)、こだわらないところが彼らしくって面白い。
当時国内で入手可能だったビクトリノックスの最高峰は『チャンピオン』、それにどんなアイテムが加わったのだろう?
「…プライヤー」
「へ?」
あと、ボールペンや眼鏡ドライバーも新装備だったと思うのだが、なによりもプライヤー(ワイヤーカッター機能付き)というのがインパクトが強く、何でこんな阿呆なものを付けたんだとさんざん笑い飛ばしたものだった。
ところが、後日国内でも発売されたのを密かに買った自分が一番よく使ったアイテムがこのプライヤーなのだ。これまでこれを使った総時間数の3分の2以上がプライヤーだと思う。その後
レザーマンのツールナイフが登場したときには、それも買おうかと思ったほどだ。いやぁあの時は笑ったりして申し訳なかった。

友人のものはシンボルカラーの赤だったが、自分が買うときは、この大きさで赤だと派手派手しいような気がして黒いものにした。机の上などに置いておくと落ち着いて上品に見えると自分では思っている。さすがにこれをズボンのポケットに入れると歩いていても気になるので、ケースを見つけてきた。ポケットベルの黒い皮ケースがピッタリだったのだ。調子に乗って古いポケットベルから外したクリップ付きのチェーンもつけたらスーツの腰につけていても誰もナイフだとは思わない。逆にジーンズにつけて遊んでいると「たいへんですね、休みの日も会社から呼び出されるんですか?」と思われたこともあったものだ。実際の自分はポケットベルを使う職種ではなかったので、そんなことは思い及ばなかった。
しかしまぁ「ポケットに入る道具箱」などという表現もあるが、よくぞここまでいろんな機能を詰め込んだものである。一説によると『チャンピオン』は「ビクトリノックスのディストリビューターがビクトリノックスの機能を説明するためのデモンストレーション用モデル」らしいが、確かに用途別にアイテムをチョイスしたモデルの中から自分が必要としているものを選び出すという悩ましい楽しみを放棄して「全部あり」というのはちょっと安易な選択だとは思う。でも、迷いだすとキリがなくなってしまい、そういうのはまた別に持つことにしてこれも持っておきたくなってしまうものだ。自分の場合は買った順序が逆だったけど(すでにウェンガーの『バックパッカー』を持っていた)。

ツールナイフで一番使わないアイテムはメインブレードだ、というジョークがある。いや、言い出したのは自分だ。だが、冗談抜きでこのナイフのメインブレード(大刃)は使いにくい。まずグリップが太すぎる。しっかり握れるのはいいのだが、それはもっと大きな刃を振り回すときの話。大刃と言っても刃渡り6cmくらいじゃもっと軽く持てたほうが細かい動きができる。つまりはバランスが悪いのだ。それに、ブレードの背に親指を当てて支えにして使おうと思ったら、刃が太いグリップの(右手の親指とは反対側の)端に寄っているため不自然な持ち方をしなければならない。サブブレード(小刃)を使うことのほうが多いのはそのためだ。
そんなわけで「ちょっとした工具が散らばらずにひとまとめになっているもの」という程度の認識でいた方が間違いないと思っている。ナイフが必要な人は別にもう一本持ちましょう。
皮肉っぽく書いたが、+-のドライバーが90度引き出したところで一度ロックするのは良いアイデアだと思う。180度引き出して使うよりも大きな力が入れられて使いやすいのだ。それやこれやでアウトドアに限らず、机の上などに置いておくと「ちょっとしたこと」でずいぶん重宝する。

さて、それでは実際どのアイテムをよく使っているのだろう。一番がプライヤーというのはすでに書いた。あとは+ドライバー、ハサミ、眼鏡ドライバー、缶切りはガスボンベに穴を開けるときくらいしか使わないな。ビール好きの自分だが年に一、二度はコルク抜きのお世話になる。また、最近は目が悪くなってきたので、今まで使ったことがなかったが、これからはルーペのお世話になるかも。
そういえば1989年の春にロシアを旅行したが、その時にもこれを持って行き、どのアイテムを使ったかという記録が残っている…「ナイフ、ハサミ、缶切り、栓抜き、プライヤー、ノコギリ、眼鏡ドライバー、本体(ハンマーとして使用)…ノコギリは同じツアーの誰かが街の中で買ってきたドーナツ型のパンを切るのに使ったのだが、あれはパンではなくブレスレットだったのかも知れない」
そうそう、そのロシアでのことだ。イルクーツクの空港でナイフをケース(前述の通り、ポケットベルのケースがピッタリ合うので使っていた)に入れてベルトに通したまま飛行機に乗ろうとしてしまったのだ。それまでの数日間はシベリア鉄道で移動していたので、つい機内預けのバッグの中に移し替えるということを忘れていた。あわてて機内持ち込みのデイパックの奥底にしまって無事通過できた…デイパックは。人間のほうはナイフ以外にもミニマグライトやZIIPOのライターをポケットに入れ、小銭入れにはカラビナをつけてベルトループからぶら下げていたのだ。これでは金属探知機が鳴らないほうがおかしい。それらのものをポケットから洗いざらい出して再び金属探知機のゲートをくぐったのだった。(そういや、そのあとブラーツクの空港で乗換えのため飛行機を待っていたのだが、そのとき待合室でこれを使ってジュースの栓を抜いていたなぁ…懲りないヤツだ)。
当時はまだ共産圏と呼ばれ、不気味で不安なイメージをぬぐいきれなかったロシアへの旅行だったが、おおらかで純朴な人たちとの出会いに恵まれ、没収されることもなかったナイフは今も自分の目の前にある。
先日、プライヤーのスプリングが折れてしまった…使い過ぎたかな。
装備アイテム

実を言うと、これを買ったときはまだ「スイス・アーミーナイフ」という言葉は知っていても、メーカーが2社あることを知らなかった。だから単純に予算と装備されているツールのバランスで選んだナイフ本体がウェンガーで、タッチアップシャープナーが付属しているのが気に入って買ったケースがビクトリノックスと、ちぐはぐな組み合わせになってしまったのだが(どうりで買うときに「これでいいのか?」と念を押されたわけだ)、全然気にならなかった。というより気付かなかったのだ。
そして、グリップにピンセットとつまようじが仕込まれているというのも、購入後かなり時間が経ってから気付いた…つまり、ほとんど予備知識が無かったのだ。
逆に言えば、店頭に並んだナイフを先入観を持たずに見比べて、本当に自分に合った物を選べたと言うこともできるだろう。グリップの太さや掌への収まり具合がしっくりとして気持ち良い。
と書いたものの、いつ買ったかが思い出せない。上の写真を撮ったのは1985年の晩春の頃だし、1983年の夏はまだオピネルしか持っていなかった形跡があるので、この2年のうちに買ったのだろう。上司と東京に出張した夕方、まだ他に寄る所がある上司と別れて新宿のICI石井スポーツあたりで…あ、不確かなのにこんなことを書いたらこれが記憶として残ってしまうな。

機能は下に別記したとおりだが(キーリング&チェーンが機能なのかは「?」だね)、平型ドライバーはスペースを節約する凄いアイデアだと思う。木ネジの絵が刻印されていなければ、これがプラスドライバーだとは気付かないだろう。機能も遜色ないし、実際このナイフではこれが一番使ったツールではないだろうか。
ノコギリもあなどれないツールだ。刃渡りが短いから、そもそも大きなものを切るには無理があるが、手で折るのに厄介な枝などを切るのにちょうど良かった。
まぁ、バックパッカー向きといっても、ウィルダネスを何日も旅する状況にあるわけでもないオートキャンパーにとっては、キャンプサイトで退屈しのぎに拾ってきた木片を削って遊んだりグッズのメンテナンスに使う程度で、気軽にポケットに入れておけて、これ一本で結構まかなえてしまえるのだった。

ウェンガーとビクトリノックスの大きな違いは「缶切り」だ。ウェンガーは手を怪我しそうで怖いと言う人がいる。自分も後にビクトリノックスを使って確かにもっともだと思ったが、初めがウェンガーだったせいもあって、この鋭く尖った刃先が気に入っている。缶に深く突き刺すと抜けなくなって困るのだが。
スイス国旗をデザインしたマークもウェンガーのほうがシンプルで好きだし…総じてウェンガーに肩入れしてしまう傾向があるのは、ビクトリノックスのほうが名前が通っていることに反発してウェンガーに対する判官びいきなのかなぁ。
そうだ、ナイフとは関係ないけど一時ウェンガーの腕時計を持っていたことがあった。長針短針がナイフのブレードと赤いグリップの形になっていて、まるでナイフ屋の看板のようにブレードが開いたり綴じたりしながら時を刻むものだった。残念なことに軸を傷めて壊れたときに「国産とは部品の形が違うので修理不能」と宣告されてしまった。
今は腕時計そのものを使っていないのだけど、もう一度あれを見かけたらぜひ買いたいと思っている。
ウェンガー
(購入年不明 1983-1985頃?)
装備アイテム