それ以前は、多くの人と同様に銀マットを使っていた。だが、これが使いにくい代物だった。巻きグセがついて、広げる時は端っこを足で押さえていなければならない。で、足を離すとクルクルと丸まってしまうので、あらかじめ寝袋に入った状態で上記の作業を行ない、広がったらそのまま寝てしまわなければならなかった。そのうえ、夜中にちょっとでも足を浮かせたりするとクルクル…これではあまりにもひどいのでサーマレストを奮発したわけだ。ナイロンの袋にウレタンのマットが入ったもの(といっても袋と一体化している)で、使わない時は中の空気を抜くから小さく仕舞える。しかもいくつか種類のあるうちで一番小さくなる(その分薄いが)ウルトラライトというのを、しかもしかもフルサイズの4分の3の長さのものを買ったのだった。(翌年結婚するつもりだったので2枚買った)
ずいぶんケチケチしているようだが、なにかの本で「マットの長さはお尻のあたりまでカバーしていれば大丈夫」というような記述を呼んだことがあったのと、どうせ夏しかキャンプに行かないのでこれで充分だろうという考えがあったし、実際使ってみて断熱効果の高さに驚いたものだ。
あの頃、アウトドア用品は運賃をかけてでもアメリカから買ったほうが安いものが多かったが、これも6月のキャンプに間に合わせるために航空便で取り寄せた。そしてその時一緒に
『カップルキット』なるものも注文した。当時日本でもダンロップやユニフレームがエアーマットを売り出していたが、あらかじめ縁にスナップがつけてあり、2枚を連結できるようになっていた。だからきっとそれに似た後付けのオプションなのだろうと、カタログに写真は無かったが値段もそう高くはないしと…8の字ナイロンテープが2本送られてきた。要するに2つの輪にそれぞれマットを入れて繋げろというわけで、なるほど確かに連結できるが、これで5ドルとは。
中身のウレタンは、セルフインフレータブルと呼ぶのかな、バルブを開けばゆっくりと空気が充填され、最後に数回息を吹き込んでおしまいというのが売り文句だったが、使い込んでゆくうちになかなか自力でふくらまなくなり、しまいには最初から息を吹き込んで使うようになってしまった。
3年ほど使っていたあとファミリーキャンプのスタイルになり、テント自体も大きくなって使い道がなくなってしまった。さらに数年後、子供の幼稚園の運動会での座布団代わりに引っ張り出したが、それもまた子供たちが小学校に入ったら出番がなくなり、とうとう人に譲ってしまった。いつかまたこれを使いたくなるようなコンパクトなキャンプに戻る日が来そうなのだが、その時はまた新しいのを手に入れたいと思う。最近のは表面が滑りにくい素材を使っていて、不整地でマットから転がり出てしまうこともなさそうだから。
コンパクトなキャンプ、で思い出した。これを使い始めた頃はテントもタープも小さかったので、例の『おかもち』の中にテント、タープ(モス&ウォークアバウト)、サーマレスト2本がすべて収まったのだ。さすがにポールまでは無理だったけど、キャンプに出かけるときは『おかもち』をぶら下げると衣・食・住の住は「忘れ物なし、OK!」と言えたのだった。

イスに座って足を組み、パーコレーターで淹れたコーヒーを口に運ぶ…
カッコだけ真似したってしょうがないんだよ
気取ってないで、いつものお茶を飲めばいいのさ
だって、リラックスするためにキャンプに来てるんだから
Wステンレスのマグに茶こしとフタがセットされた『ゆのみ』は
緑茶だけではなくハーブティーにも似合いそうだ
ただ、全身ステンレスの無機的な外観がちょっと…
そしたらフタに色がついた『ゆのみⅡ』が登場した
見る角度によって少し色合いが違って見える不思議な発色
酸化発色という方法だそうだが
そう言われてもちょっとやり方の想像がつかない
ただし、同じ色を安定して量産するのは難しいとかで
そのせいかどうかは知らないけど
よく行く店で「どう見ても青」のやつに「赤」のシールが貼られていた
(単なる箱の間違い?)
上の写真のものは青でも赤でもない
銅色、とでも言えばいいのかなぁ
明るく光ると飴色と呼んでみたくなる色だ
自分自身とても気に入っている色だが
一般には販売されなかったので現品限り
(つまり試作品なのです)
1998年カタログで登場した『ゆのみⅡ』だったが
その後2000年カタログでは『ゆのみ』だけに戻ってしまった
やっぱりフタの発色がネックなのか
ぼくが持っているあの色で再発売されて欲しいものだが
ところで、本体だけを見たときに
「なんだ、取っ手をつける前のWステンマグそのままじゃないか」
と思ってしまいがちだが、そうではない
専用にマーキングされた「YOU KNOW ME」の文字
…この洒落っ気が、このメーカーの真骨頂

初めてこいつを見たのは1980年の夏、大学4年の時に行った北海道にある常宿のユースホステルだった。北海道にはいつも2月3月に行っていたのだが、初めての夏の北海道で、その冬にも泊まり合わせた友人と再会した。
「キャンプするつもりで道具も一式持ってきたんだが、結局ユースばっかりだ」
もう一人泊まり合わせた友人はマイカーで来ており(やっぱり夏は装備が違う)、僕たちは昼間は三人でドライブし、公園の片隅で飯を炊いて昼食を食べたりしていた。燃料が余っているからと、ユースの前で日がな一日ジャム作りをした日もあったっけ…。
これまでラジュースと呼ばれている灯油を使うコンロは知っていたが、優美なラジュースとは違って、こちらは何か機能的なものを感じさせた。
翌年、就職した僕は何回目かの給料(ひょっとしたらボーナスだったかも)でこれを買った。16,000円。当時の大卒の給料は10万くらいだったと思う。
(その後、大卒の給料が20万前後になった頃、こいつは5,800円になってしまったが)
今になって不思議に思うのは、大学生の頃の僕はキャンプはもちろん、アウトドアというものに興味が無かったというのに、どうしてこれに興味を持ったのだろうかということだ。社会人になってからの旅の形態は信州への一泊旅行がメインになってしまい、ますます短期集中型になってゆくのだが、ぼくはこれを持って出かけ、ドライブの途中でお湯を沸かしてカップ麺の昼食を食べるということから徐々にアウトドアライフの楽しみらしきことを始めて行くようになる。
正確には自然を楽しむというのではなく、自然の中でこういった道具を使うことを楽しむと言わなくてはならないのだろうが、都会の会社に勤め、都会で生活するのだろうなと漠然と思っていたそれまでの自分からは想像もつかない方向転換だった。
これが「キャンプ好き」としての自分の原点なのかもしれない…と言ったらこじつけかなぁ。
使ってゆくうちに重さが気になるようにもなってきた。ハイキングの昼食程度ならもっと軽量コンパクトな道具もある。でも、自分の場合はデイパックの中にあるのはこれだけ(水とカップ麺も、だけど)だから、ずいぶん持ち歩いたものだ。
XCスキーにもよく持って行った。ただ、「氷点下でも着火する」という謳い文句とは裏腹に何度試みても火がつかず、空腹のまま帰ってきたことも数回あったが。
謳い文句といえば、8Rや123の燃料タンクにあるような安全弁がこれには無い。「安全弁が不要なほど安全」「火の中に放り込んでも爆発しなかった」などという伝説もあったっけ。さすがに試したことは無いが、火達磨にしたことは何回かある。使っていると(おそらくジェネレーターの付け根だと思うのだが)ガソリンが流れ出し、あれれと思っているとボッと火がついたりして…
なんだか、失敗談ばかりを覚えているような気がする。
ソロ(といっても仲間が集まって)キャンプからファミリーキャンプへと形態が変わり、使いやすいガスの燃焼器具をメインに使うようになって、こいつの出番はなくなってしまった。我が家で錆び付いて朽ちて行くよりは現役で働いて欲しいと手離してしまったが、この文章を書いているうちに、手元に残しておくべきだったかなと…いやいや、やっぱりあいつはゴーゴーと音を立てて青い炎をあげている姿が似合っている。ときどきチョロッと漏れたガソリンで火達磨になるのもご愛嬌だ。
《MODEL 400 STOVE》
コールマン
(1981年購入)